古本と新刊のこだわりの選書やアクセサリーなどの雑貨を取り扱う独立書店「百年の二度寝」(東京都練馬区)の店主 河合南さまより書評をお届けします。
この会社ムリと思いながら辞められないあなたへ 井上智介 著 WAVE出版 2021年9月発売 |
書評
なんといってもタイトルが秀逸です。
「この会社、ヒドイ」でも「この会社、嫌い」でもなく「無理」、もはや肉体的な限界を迎えている状態を示唆する切迫感にあふれる形容、さらに「無理」でありながら「辞められない」という困った状況も示している。
マーケティング上、商品(この場合は本)の対象顧客(読者)は絞った方がよいと言われますが、ここまで困った状況に陥っている方に標準を定めたタイトルの本というのも珍しいと思います。
それだけ、会社との激しいミスマッチを感じながらも身動きのとれない状況に陥っている方は多いということなのでしょう。
現在の労働環境は、やはりとても苛烈なんだな、と考えさせられます。
同じ著者の 『どうする?家族のメンタル不調』(集英社) 同様、こちらの本も実に具体的、かつ、なかなか思い通りに行かない場合のフォローも行き届いた、実に親切な本です。
特に、会社を「(表面上)円満退社」する手順を解説した終章は、医学的なアドバイスだけにとどまらず、法律や社会制度の解説も行き届いており、会社からの嫌がらせの手段やその対策もリアリティがあって、著者が産業医として積み重ねてきた豊かな経験をうかがわせます。
決して長い章ではないですが、この部分の記述だけで一冊の本にできるほどの充実度。
この章が「最後」に置かれていることにも、ちゃんと意味があります。
最終章で著者自身が明かしていますが、この本は、「この会社ムリ!」と思いつつ辞められない状況に陥っている方に対して、「気持ちの受け入れ」「危険サインの確認」「実際に心身が回復した事例」「休職について」「退職について」と、段階的に説明をすすめていく構成になっています。
言い換えれば、「この会社ムリ」と感じて受診した患者さんに対して、著者がする説明やアドバイスを、時系列に沿って記述しているのです。
つまり、著者による治療のシュミレーションが受けられる構成でもあるわけで、実に秀逸だと思います。
この本で繰り返し説かれるのは、どれだけ好きな仕事ができる、存在意義のある会社であっても、会社はあなた自身の健康を守ってはくれないし、困難のただ中においてあなたを助けてはくれない、最終的に自分を守るのは自分自身なのだ、というリアルな認識です。
当事者に寄り添った、とても優しい内容でありながら、一本筋の通った強靭さも感じさせるのは、本書に通底するこういったリアリズム故なのかも知れません。
このタイトルを見てドキリとしてしまった方に、ぜひ手に取って頂きたい一冊です。
評者プロフィール
河合南(かわい・みなみ)
東京都練馬区の書店「百年の二度寝」の店主です。発病してから15年以上付き合ってきたうつ病の当事者でもあります。店主自身が精神疾患の当事者と言うこともあり、精神疾患の当事者さんや周囲の方が読める本にも力を入れています。
公式サイト・SNS
百年の二度寝ホームページ
百年の二度寝 Twitterアカウント(@mukadeyabooks)